石垣山一夜城歴史公園

箱根駅伝(往路・5区)の応援帰り、2010年の散歩第一弾として、
箱根登山鉄道・箱根板橋駅から「石垣山一夜城歴史公園」へ行ってきました。
▼「One night Castle」の標識
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<石垣山農道>

「石垣山一夜城歴史公園」は石垣山農道(太閤道)を2.5kmほど登ったところにあります。
この道は社団法人・日本ウォーキング協会が公認する「美しい日本の歩きたくなるみち500選」
に選ばれた「太閤・一夜城と長興山史跡のみち(12キロコース)」の一部。
歩道もなく、なかなか厳しい坂道ですが、ミカン畑の間を進みつつ、坂から見下ろすと眺望抜群。
▼石垣山農道
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道なりに「石垣山に参陣した武将たち」と題して武将など8名を紹介した看板があるので、
それらを見ながら適度に休憩を取って歩いていくと、
迷わず「石垣山一夜城歴史公園」の入口に到着します。(※駐車場あり)
▼公園入口
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<石垣山一夜城歴史公園>

石垣山城は、1590年に豊臣秀吉による小田原攻めの本陣(本営)として、
小田原城から3kmほど離れた石垣山に建造された総石垣作りの城。
築城の際、山頂の林に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけ、
一夜のうちに周囲の樹木を伐採して一夜で築城したように見せたため、
一夜城と名付けられたとされていますが、実際は4万人で80日間で築城された、
見せかけだけじゃない本格的な近世城郭。1959年に国の史跡に指定。
この城を見た、北条側軍勢の戦闘意欲喪失ぶりは、どれほどのものだったでしょうか?
▼石垣山(一夜城)入口
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石垣山城というだけあって、なかなか険しい石段。
▼井戸曲輪跡
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二の丸から25メートル下にある井戸曲輪。曲輪(くるわ)とは、
城内の小区画のことで、井戸があった区画なので、井戸曲輪。
秀吉はこの石垣山城に側室の淀殿(淀君)を呼び寄せており、
その淀君が使用したことから、井戸は「淀君化粧井戸」と呼ばれた。
井戸曲輪は籠城時の生命線となることから他の区画より強固に作られるのが一般的で、
そのためか、この井戸曲輪の石垣は関東大震災の影響をほとんど受けず、
築城当時の(野面積みの)石垣の様子を最もよく留めているとのこと。
▼二の丸(馬屋曲輪)跡
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本丸と並び最も広い曲輪。伝承によると、二の丸には馬屋が配置され、
本丸寄りに「馬洗い場」と呼ばれた湧き水があったとか。また、「櫓台跡」が残っている。
▼本丸(本城曲輪)跡
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本丸。最も広い曲輪で、「物見台跡」、「天守台跡」が残っている。
太閤秀吉がここで水陸15万の兵の指揮を執ったのでしょう。
ちなみに、この辺り、春にはシャガ(アヤメ科の植物)の花が一面に咲くそうです。
▼物見台跡
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小田原市内、相模湾を一望できる素晴らしい眺望。
一夜城のベスト・ビュー・ポイントです。
▼本丸から「小田原城」を望む
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ビルの立ち並ぶ現代。
眼鏡の私には、肉眼で小田原城を確認するのは厳しいですが、
デジカメのズーム機能で何とか確認。

所在地は以下の通りです。

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