横須賀を歩く

「よこすか京急沿線ウォーク」で神奈川県横須賀市を歩いてきました。
日本近代史を感じることのできるコースでした。
▼記念艦・三笠
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■基本情報

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【主催】横須賀集客促進実行委員会(京急&横須賀市)・よこすか京急沿線ウォーク
【タイトル】「日本近代化の足跡を辿る~ヴェルニーと戦艦三笠~」
【距離】約9km
【分類】なし
【地図】GoogleMap
【通過ポイント】
京急田浦駅
スタート:横須賀市立船越小学校
✅①①長浦港
✅②②安針台公園
✅③③ヴェルニー公園
✅④④三笠公園
ゴール:三笠ビル商店街アーケード広場
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■はじめに

2010年第4回よこすか京急沿線ウォークは、横須賀市内の近代遺産を巡るコース。
横須賀では、明治・大正期の建造物がそのまま残って使用されており、見どころ満載です。

■ウォーキングの記録

<京急田浦駅>

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――係員に誘導されて、歩道橋を渡って道路反対側の小学校へ移動。――

<スタート:横須賀市立船越小学校>

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前回の第3回「陸上自衛隊久里浜駐屯地60周年記念ウォーク」が荒天で中止だったため、
合わせて前回分のスタンプも押印。これで3回参加扱いなので、ゴール地点でクールバックがもらえるそう。

①<長浦港>

▼ガントリークレーン
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【概要】

ガントリークレーン
ガントリークレーンとは港湾の岸壁に設置され、
コンテナなどの貨物の積み下ろしを行うクレーンのことを言います。
長浦港埠頭にあるガントリークレーンは関東大震災以前に作られたとされ、
現在は海上自衛隊横須賀造修所により使用されています。
(出典:京急ウォークマップより)

<海軍通信教育発祥記念碑@海上自衛隊第2術科学校>

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【概要】

海軍通信教育発祥記念碑
明治34年無線電信術の教育を、日本ではじめて行った記念の地として建立したもの。
無線電信術の教育は、明治37、8年の日露戦争など当時の国際関係のさしせまった中で、
その重要性を増していた。
ここでの通信術教育は昭和5年水雷学校から分離独立して、同じ敷地内に
海軍通信学校が開校、昭和14年に久里浜に移り、その後、横須賀海軍通信学校と改められた。
出典:横須賀市HPより(http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2482/walk_taura/b10031.html)

<JR田浦駅>

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<旧海軍軍需部長浦倉庫>

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【概要】

旧海軍軍需部長浦倉庫
旧海軍軍需部では、砲弾・魚雷等の兵器や燃料・食料等の軍需物資を調達・保管し、
軍艦に補給する役目を担っていました。
長浦港沿いの倉庫群は、旧海軍軍需部の長浦倉庫と言われ、
主に兵器が保管されていたところです。
現在でも当時の建物が海上自衛隊や民間会社によって利用されています。
(出典:京急ウォークマップより)

<比与宇トンネル>


【概要】

比与宇トンネル
比与宇トンネルは、戦前までJR田浦駅構内からの軍事用引込み線が通っていました。
トンネル内で物資の積み下ろしを行っていたため、
線路と車道とが共に存在する非常に珍しいトンネルでした。
現在、線路は廃線となっていますが、
トンネル入口手前に残るアスファルトに埋まったレールが当時の面影を伝えています。
(出典:京急ウォークマップより)

<横浜ベイスターズ総合練習場>


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②<安針台公園>

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▼坂道からの風景
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<ウェルシティ市民プラザ>

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<JR横須賀駅>

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【案内板】

横須賀風物百選・横須賀駅
「汽笛一声新橋を」の歌詞で知られる鉄道唱歌に「汽車より逗子をながめつつ/はや横須賀に着きにけり/見よやドックに集りし/わが軍艦の壮大を」という一節があります。
明治22年6月16日、大船-横須賀間に開通した横須賀線の終着駅、横須賀駅開業当時の駅頭風景を上手に表現しています。
そのころの横須賀は、現在右手に見える米海軍基地内に、明治17年に設けられた横須賀鎮守府などの諸施設がある重要な海軍基地となっていました。一方、陸軍も明治13年から観音崎をはじめとして市内の沿岸各所に着々と砲台を築いていました。しかし、人員や物資の輸送は、横浜-横須賀間の船便に頼っている実情でした。
明治19年6月、陸海軍は、鉄道布設の必要性を記した請議書を海軍大臣西郷従道、陸軍大臣大山巌の名を連ねて総理大臣伊藤博文に提出しました。この求めに応じて鉄道局は、翌20年に測量を開始し、21年1月に工事を起こしました。工事費は、明治19年に始まっていた東海道線建築費から40万円支出しました。当初終着駅は、観音崎附近へとの要望がありましたが、さらに5万から10万円の予算を必要とするうえ、市街地を通さなければならない等の複雑な問題があり、現在地となりました。
現在の駅舎は、昭和15年に新築されたものですが、大正3年に改築した駅舎の面影をよくとどめている貴重な建物です。
開業当時、汽車はおそよ1時間ごとに発着し、東京-横須賀間に約2時間を要しました。客車は1・2・3等とあり、煙突の長い機関車がそれを引きました。3等運賃は39銭で、当時の米価が一升11銭前後でしたのでかなり高かったようです。
乗客数は、明治40年ごろで一日平均1,843人と記録されています。
横須賀-久里浜間は、軍の求めにより、昭和19年4月に開通したものです。
▼スカレー
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【案内板】

カレーの街よこすか
日本のカレーライスは、開国を機にインド風ではなく英国風カレーとして伝えられたとされています。栄養バランスのよいカレーは明治期の海軍の食事に取り入られた人気メニューとなり現代に引き継がれて来ました。家庭料理としてのカレーライスは、兵隊さんによって、全国に広められたといわれています。海軍と共に歩んだ街横須賀は、全国にカレーを発信した街であると考えています。そして、明治時代に食べられていたカレーライスを現代に甦らせ、ここ横須賀から全国に向け発信をしています。

<ヴェルニー記念館>

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③<ヴェルニー公園>

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公園にあった銅像コレクション。
(保存状態があまりよろしくない)

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小栗上野介忠順(1827~1868)
日本初の遣米使節をつとめ、外国奉行や勘定奉行など徳川幕府末期の要職を歴任し、フランスの支援のもと横須賀製鉄所(造船所)の建設を推進した。
軍政の改革、フランス語学校の設立など日本の近代化に大きく貢献したが、大政奉還後に徹底抗戦を主張したため役職を解かれ、領地の上野国権田村(群馬県倉渕村)で官軍により斬首された。
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フランソワ・レオンス・ヴェルニー(1837-1908)
フランス人の造船技師で、海軍増強をめざした徳川幕府の要請により横須賀製鉄所(造船所)建設の責任者として1865年来日した。
明治維新後も引き続きその建設と運営の任にあたり、観音埼灯台や走水の水道の建設、レンガの製造のほか、製鉄所内に技術学校を設けて日本人技術者の養成に努めるなど、造船以外の分野でも広く活躍し1876年帰国した。

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④<記念艦みかさ>

【所在地】神奈川県横須賀市稲岡町82-19
【観覧料】大人500円
【URL】http://www.kinenkan-mikasa.or.jp/
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【要目】

船体:鋼鉄、排水量:15.140t、全長:122m、幅:23m、速力:18kt、
乗員:860名、主砲:30cm砲4門、副砲:15cm砲14門、8cm砲20門、
45cm魚雷発射管:4基
(財団法人三笠保存会パンフレットより)

【由来】

日露戦争は、ロシアの極東進出によって存亡の危機に立たされた我が国が、心身の限りを尽くして戦った防衛戦争であり、東郷平八郎司令長官が率いる我が連合艦隊がバルチック艦隊を対馬沖に邀撃(ようげき)して圧倒的な勝利を収めた日本海海戦により戦争は終局に向かい、ポーツマス条約が締結されて両国の講和が成立しました。「三笠」は最新鋭の戦艦であり、東郷司令長官が乗艦指揮する旗艦として日本海海戦において常に連合艦隊の先頭に立ち、敵艦の集中的な砲火を浴びながら戦い抜き、歴史的な大勝利に大きく貢献しました。大正15年、このように栄光の歴史を持つ「三笠」を記念艦として保存することになり、難工事を克服して現在の場所に固定され、以来民族の誇りの象徴として親しまれています。
(財団法人三笠保存会パンフレットより)

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▼限定ミニタオルプレゼント
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<ゴール:三笠ビル商店街アーケード広場>

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▼缶バッジ(左が今回分、右が中止となった前回分)
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よく見ると、電車の行き先に、歩いた場所が記載されているんですね。
今回は「横須賀中央」になっています。
▼オリジナルクールバックプレゼント
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■コースマップ

本日のコースは以下の通りです

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