修善寺を歩く

小田原からJR特急・踊り子号で約1時間。
伊豆・修善寺に行ってきました。
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【区分】自由設定
【地図】GoogleMap
【通過ポイント】
 ✅①修善寺ハリストス正教会顕栄聖堂
 ✅②修禅寺
 ✅③指月殿
 ✅④源義経像
 ✅⑤独鈷(とっこ)の湯
 ✅⑥竹林の小径
 ✅⑦修善寺温泉の貯湯槽(第1配湯所)
 ✅⑧源範頼の墓
 ✅⑨修善寺梅林
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■修善寺とは

伊豆半島の中心から若干北側に位置する修善寺(静岡県伊豆市修善寺)は、
温泉街で有名な観光地。
夏目漱石をはじめ、多くの明治時代の文豪に愛され、数々の作品の舞台ともなっています。

■ウォーキングの記録

以下、修善寺散策記録です。

①<修善寺ハリストス正教会顕栄聖堂>

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明治45年6月2日落成の教会。122㎡m木造漆くい塗り、
高さ18mの鐘塔と尖塔がつき外形の美しい建造物。
聖所にある十字架の聖像は明治時代の日本画家・山下りん作。

②<修禅寺>

【正式名】福地山修禅萬安禅寺
【宗派】曹洞宗
修禅寺
寺ではなく、修寺。
修善寺温泉街(=修善寺)の中心に位置する、弘法大師の寺院。
ここでは、手を清める水屋は水ではなく、温泉です。
主な歴史:
807年 弘法大師・空海により真言宗の寺院として創建
1193年 源頼朝の弟・源範頼が幽閉され自害
1204年 鎌倉幕府2代将軍の源頼家が幽閉され北条氏により暗殺
1275年 鎌倉・建長寺の蘭渓道隆が臨済宗に改宗
1489年 北条早雲の叔父・隆渓繁紹が曹洞宗に改宗
修禅寺は、鎌倉時代、北条氏の策略で兄弟・息子関係なく殺されるという、
悲劇の歴史の舞台です。

③<指月殿>

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修禅寺で北条氏の家臣により暗殺された鎌倉幕府二代将軍・源頼家の冥福を祈り、
母・北条政子が建立した伊豆最古の木造建築。
北条政子の表と裏の顔が見え隠れします。

④<源義経像>

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足場の悪い山道をしばらく登ると、なぜか源義経像が。
しかも、妙に筋肉隆々です。
これは、無理して見に行く必要なかったわ。

⑤<独鈷(とっこ)の湯>

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桂川の水で病気の父の体を洗う少年の姿を見かけた弘法大師。
その親孝行ぶりに、弘法大師が心打たれて、
「水では冷たかろうに」と独鈷杵(仏具)で川の岩を打ち湧かせたという伝説の湯。
修善寺温泉の発祥の場所にして、伊豆最古の温泉と言われています。
独鈷の湯は、桂川の中州にあり修善寺で一番の観光スポット!とも言える場所でしたが、
大雨のたびに川の流れが堰き止められ、周辺に被害をもたらす要因に。
現在、移転のため工事中。杭を打たれ、痛々しい風景です。
▼工事の看板
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⑥<竹林の小径>

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桂川沿いに設けられた竹林の道。
風の径など色々名前のついた歩道がありますが、ここが一番整備されています。

⑦<修善寺温泉の貯湯槽(第1配湯所)>

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桂川沿いに、赤蛙公園を抜けると、突如現れるメタリックなタンクは、
修善寺温泉街のお湯を管理・供給する修善寺温泉事業協同組合の貯湯槽です。
ボーリングしすぎで海水が混じるなど、修善寺温泉は一時枯渇しかけたそうですが、
その後、温泉街全体で温泉を集中管理することにより湯量を回復、
温泉資源の枯渇を防止しているそうです。

⑧<源範頼の墓>

写真なしです。
日本3大仇討ちのひとつ、「曽我兄弟による仇討ち」があった際、
“源頼朝が討たれた”との誤報に基づき、
弟・源範頼が発した「あとは自分(範頼)がいるから大丈夫」という失言と、
「弟の奴がこんなこと言ってた。きっと悪いこと考えてるんじゃない?」という北条政子の告げ口により、
兄・源頼朝より謀反の疑いを掛けられ、修禅寺に幽閉された挙句、自害させられたという
可愛そうな弟・源範頼の墓。
それにしても、範頼といい、義経といい。将軍・頼朝の弟嫌いは酷いものですね。

⑨<修善寺梅林>

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2/1~3/10まで修善寺梅林では梅まつりを開催中。
当日はその初日でした。全体に、まだ二分咲きといったところ。

■コースマップ

Googleマップでおさらいです。

大きな地図で見る

途中、筥湯(温泉施設)や日帰り入浴のできる宿をいくつか見かけましたが、全スルー。
修善寺にせっかく来たのなら、「修善寺温泉街でお風呂」っていうのも計画に入れておくとよかったですね。