【箱根の旅】宮ノ下

箱根の旅・Part.4 は「宮ノ下」周辺を散策。
▼【宮ノ下駅】(小田原駅から)片道560円(小田急+箱根登山鉄道)
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・富士屋ホテル
・熊野神社
・王堂文庫跡
・箱根駅伝の碑
・太閤の滝・太閤石風呂
・早川(堂ヶ島)渓谷遊歩道(吊橋・夢窓国師山居跡)
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<富士屋ホテル>
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宮ノ下といえば「富士屋ホテル」。明治11年(1878年)創業、老舗の本格リゾートホテル。
創業当初は外国人専用のリゾートホテルで、ヘレンケラー、チャップリンやジョン・レノンなど、外国の著名人が多く宿泊したことで有名です。
建物は、明治時代~昭和初期に建築された「本館」「西洋館」「花御殿」「菊華荘」など、見た目から歴史を感じさせる外観。お金と時間に余裕が出来たら、いずれ宿泊してみたいホテルです。
また、富士屋ホテル前を通る国道一号線は通称・セピア通りと呼ばれ、異国情緒があり、外国人の宿泊客向けの商店が多く並んでいたという、かつての面影を今もなお残しています。
 
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<熊野神社>
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宮ノ下の名前の由来となっている神社。(神社(宮)の下)
 
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<チェンバレンの王堂文庫跡>
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イギリス人の日本学者・バジル・ホール・チェンバレン(1850~1935)が、日本研究のために集めた蔵書を格納するため、当時長期滞在していた富士屋ホテル内のこの地に、「王堂文庫」を設置した。ちなみに「王堂」とは名前の「バジル・ホール」からとったもので、自ら「王堂チャンブレン」と名乗っていたらしい。
 
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<箱根駅伝・鎮魂の碑>
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昭和31年に駅伝の練習中に交通事故で亡くなった選手を悼み建てられた碑。
この辺りは、毎年1月2日、3日に開催される箱根駅伝のコースになっており、私が行ったこの日も、学生ランナーが集団で山登り(5区)の練習をしている風景が見られました。
箱根全般に言えることですが、歩道が非常に少ないです。特に、宮ノ下のこの辺りは、道が狭く、歩道もなく、今もなお、危険な場所です。もうこのような悲劇を生まないよう、運転者は安全運転を、ランナーは十分注意して練習してもらいたい。この碑を見て、切に思います。
 
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<太閤の滝>
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<太閤石風呂>
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1590年豊臣秀吉の小田原攻めのとき、兵の戦傷を癒すために掘らせたと言う伝説が残る岩風呂。ちなみに、この付近は底倉温泉に位置し、小田原攻めにて参陣が遅れた伊達政宗がこの地に幽閉されました。(伊達政宗が、死に装束で豊臣秀吉の前に現れた話は有名です。)
 
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<早川(堂ヶ島)渓谷遊歩道>
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別名、チェンバレンの散歩道。先ほど登場したチェンバレンさんお気に入りの散歩コース。
早川沿いに、山道をてくてく。かなりの運動になります。
一番の見所は、この吊橋。「重量制限180kg」。歩くと、期待通り揺れます。
 
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<夢窓国師閑居の跡>
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臨済宗の禅僧・夢窓疎石(1275-1351)が、閑居したと言われる場所。
江戸時代の箱根七湯廻りにも掲載されていた名所です。
 
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地図でおさらい。

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