両国を歩く

JR東日本主催の「駅からハイキング」(期間設定コース)で、東京都墨田区周辺を歩いてきました。

▼おしなりくんとyoukanの演奏風景@東京スカイツリー前
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■基本情報

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【主催】JR東日本・駅からハイキング(期間設定コース)
【タイトル】東京スカイツリー®を眺めながら すみだ下町散歩
【開催期間】2012/1/5 – 2012/3/31
【距離】約7.2km
【分類】文化歴史・タウンコース、ほぼ平坦
【地図】 GoogleMap
【通過ポイント】
 ▶JR両国駅
 ▶スタート:両国観光案内所
 ✅①両国国技館相撲博物館
 ✅②旧安田庭園
 ✅③横網町公園復興記念館
 ✅④勝安芳(海舟)像
 ✅⑤あづちゃん家
 ✅⑥東京スカイツリー
 ✅⑦おしなりくんの家
 ✅⑧すみだもの処[Check Point]
 ✅⑨大横川親水公園
 ✅⑩能勢妙見山別院
 ✅⑪法恩寺
 ▶ゴール:テルミナインフォメーションカウンター
 ▶JR錦糸町駅
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■ウォーキングの記録

<スタート:両国観光案内所>

【所在地】東京都墨田区両国2-19-1ザ・ホテルベルグランデ1F
スタートは両国駅前にあるザ・ホテルベルグランデの1階にある「両国観光案内所」です。
先着2,000名限定で、付近に本社を置くライオン株式会社さんから、食器洗い洗剤のプレゼントがあります。

▼不知火型のブロンズ像


<JR両国駅>



①<両国国技館相撲博物館>

大相撲初場所開催中(1/8-1/22)のため、両国国技館相撲博物館に入るには、チケットが必要とのことでした。
残念!



②<旧安田庭園>

【所在地】東京都墨田区横網1-12-1
【URL】http://www.visit-sumida.jp/spot/SpotDetail/tabid/60/pdid/349/catid/26/Default.aspx

沿 革

 この地は元禄4年(1701)、後の常陸笠間藩五万石の藩主、本庄因幡守宗資が下屋敷として拝領し、この庭園は宗資が築造したと伝えられている。中央に「心」字をかたどり、隅田川の水を引き入れた池を配し、潮の干満によって変化する景観を楽しむ、いわゆる潮入り池泉廻遊式庭園である。
 明治になって旧備前岡山藩池田章政邸となり、明治24年(1891)安田財閥の創始者初代安田善次郎の所有となった。安田翁の逝去後、家屋及び庭園は大正11年(1922)、東京市に寄付された。
 大正12年(1923)9月1日の関東大震災により。壊滅的な被害を受けたが、残った地割り石組みを基にして復元工事を行い、旧安田邸跡地は寄付者の名を冠して「旧安田庭園」と命名した。昭和2年(1927)に民間篤志家の寄附による和風庭園として初めて一般に公開された。
 昭和42年(1967)、東京都から墨田区に移管されたのを機に、全面的な改修工事を行い、昭和46年(1971)に名園といわれた往時の姿に復元した。
 平成8年(1996)、明治時代の代表的な庭園として、東京都の「名勝」に指定された。その後、施設の老朽化が著しくなったので、貴重な文化財庭園を後世に残すため、墨田区では平成17年(2005)に「旧安田庭園整備保存管理計画」を策定した。この計画に基づき、貴重な文化財である旧安田庭園を保護し、さらなる活用に努めている。

③<横網町公園復興記念館>

【所在地】東京都墨田区横網2-3-25
【URL】http://www.tokyoireikyoukai.or.jp/
▼東京都慰霊堂


▼復興記念館

関東大震災を中心に震災被害資料や絵画を展示した施設。
東日本大震災の様子を捉えた南三陸町の写真家・佐藤信一さんのパネル写真が印象的でした。


― 隅田川沿いを歩きます ―






④<勝安芳(海舟)像>

建立の記

 勝海舟(通称・麟太郎、名は義邦、のち安房、安芳)は、文政六年(1823年)1月30日、江戸本所亀沢町(両国4丁目)で、父小吉(左衛門太郎惟寅)の実家男谷邸に生まれ、明治32年(1899年)1月19日(発表は21日)、赤坂の氷川邸で逝去されました。
 勝海舟は幕末と明治の激動期に、世界の中の日本の進路を洞察し、卓越した見識と献身的行動で海国日本の基礎を築き、多くの人材を育成しました。西郷隆盛との会談によって江戸城の無血開城をとりきめた海舟は、江戸を戦禍から救い、今日の東京の発展と近代日本の平和的軌道を敷設した英雄であります。
 この海舟像は、「勝海舟の銅像を建てる会」から墨田区にに寄贈されたものであり、ここにその活動にご協力を賜った多くの方々に感謝するとともに、海舟の功績を顕彰して、人びとの夢と勇気、活力と実践の発信源となれば、幸甚と存じます。
  海舟生誕百八十年
  平成十五年(2003年)七月二十一日(海の日)
  墨田区長 山崎昇


― ここらへんから本日のメイン・東京スカイツリーの連続です ―

▼枕橋から東京スカイツリー



▼隅田公園から東京スカイツリー


⑤<あづちゃん家>

【所在地】墨田区吾妻橋3-1-7
【URL】http://www.azuchan.jp/entry/2011/07/post-1874.html


⑥<東京スカイツリー®>

【所在地】東京都墨田区押上1-1
【URL】http://www.tokyo-skytree.jp/
2012年5月22日(火)にオープン予定。
今年の注目は「東京スカイツリー®」と「ロンドン五輪」ですかね。



⑦<おしなりくんの家>

【所在地】東京都墨田区業平2-15-6
【URL】http://oshinari.jp/


⑧<すみだもの処>[Check Point]

【所在地】東京都墨田区業平2-15-5



▼天祖神社


⑨<大横川親水公園>



⑩<能勢妙見山別院>


▼勝海舟翁之像

勝海舟翁之像

勝海舟九才の時大怪我の際妙見大士の御利生により九死に一生を得その後開運出世を祈って大願成就した由縁の妙見堂の開創二百年を迎え海舟翁の偉徳を永く後世に傳へるため地元有志に仍ってこの胸像が建られた
昭和四十九年五月十二日

⑪<法恩寺>




▼伊藤左千夫牧舎兼住居跡(JR錦糸町駅前)

伊藤左千夫牧舎兼住居跡

所在地 墨田区江東橋三丁目
 左千夫、本名幸次郎は、1864年8月18日に千葉県成東町殿台の農家の四男として生まれました。
 18歳の時上京して明治法律学校に入学しましたが、眼病のため中退、農業に従事しました。22歳の時再び上京、神田の牛乳店豊功舎に勤めました。その後、いくつかの店をかわり、26歳の4月にはこの地に牧舎つき住居を購入して独立、牛乳搾取業を始めました。毎日18時間も働いたと自ら記しています。
 30歳、同業の伊藤並根に茶の湯、短歌を学びました。当時春園と号し、桐の舎桂子の月例会に出席、『牛飼が歌よむ時に世の中の新しき歌大いにおこる』を発表して好評を得ます。
 やがて、短歌革新運動を進める正岡子規に共鳴して、1900年その門に入り、作歌に励みます。子規も、その才能を高く評価し、根岸派の有力な一員となります。
 子規歿後は、根岸派の機関誌『馬酔木』『アララギ』により活発に作歌を続け、多くの著名な歌人を育てました。なお、左千夫には『野菊の墓』等の小説、写生文、歌論、新体詩等のすぐれた作品がたくさんあります。
 1913年7月30日、移転先の江東区大島で脳溢血のため急逝し、亀戸の普門院に葬られました。
 昭和五十九年三月 墨田区

<ゴール:テルミナインフォメーションカウンター>


■コースマップ

本日のコースは以下の通りです。

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