伊豆・韮山を歩く

JR東海主催の「さわやかウォーキング」で、静岡県伊豆の国市韮山を歩いてきました。
※コース外ですが、さらに韮山反射炉も歩いてきました。

▼重要文化財・江川邸
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■基本情報

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【主催】JR東海&伊豆箱根鉄道共催・さわやかウォーキング
【タイトル】「秋の田方平野をのんびり歩く」
【距離】約8km
【分類】富士山眺望・歴史、一般向
【地図】 GoogleMap
【通過ポイント】
 ▶スタート:伊豆箱根鉄道・原木駅
 ✅①長昌院・長崎神社
 ✅②韮山運動公園
 ✅③香山寺
 ✅④本立寺
 ✅⑤江川邸・韮山郷土史料館
 ✅⑥蛭ヶ島公園
 ▶ゴール:韮山時代劇場
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■交通アクセス

JR東海道線で小田原駅から三島駅まで、約40分、650円。
伊豆箱根鉄道駿豆線で三島駅から原木駅まで、15分、270円。

■伊豆・韮山と言えば

・人物は代官・江川太郎左衛門(英龍)
・江川家は時代劇のロケ地として有名。

■ウォーキングの記録

<スタート:伊豆箱根鉄道・原木駅>

今回のウォーキングはJR東海と伊豆箱根鉄道の「共同開催」。
スタートの原木駅では「お茶のおもてなし」もありました。
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―― 田方平野の田園地帯を歩く ――

▼一面の黄金色の稲穂
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<長崎神社>

【所在地】静岡県伊豆の国市字堂下167-1
▼長崎神社
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<韮山運動公園>

【所在地】静岡県伊豆の国市韮山多田860
ウォーカーの休憩に。
▼運動公園に上る道からの景色
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<香山寺>

【宗派】臨済宗
【正式名称】景雲山香山寺
【所在地】静岡県伊豆の国市韮山山木868-1
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<本立寺>

【宗派】日蓮宗
【正式名称】大成山本立寺
【所在地】静岡県伊豆の国市韮山金谷268
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<江川邸>

【指定】国指定重要文化財
【所在地】静岡県伊豆の国市韮山韮山1
【入場料】(韮山郷土史料館との共通券で)400円
【URL】http://www.egawatei.com/
【おすすめ】★★★★
江戸の代官・江川氏の邸宅。
時代劇のロケにもたびたび使用され、最近では、NHK大河ドラマ「篤姫」、
TBSドラマ「JIN -仁-」のロケ地としても使用されたとのこと。
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【説明板】

重要文化財江川家住宅
 江川氏の遠祖宇野氏は大和の国に住む源氏の武士であったが、保元の乱(1156)に参戦して敗れ、従者13人と共にこの地に逃れて居を定めたと伝えられる。現存の家屋の主屋は、室町時代頃(1336-1573)に建てられた部分と江戸時代初期頃(1600年前後)に修築された部分とが含まれている。この主屋は昭和33年(1958)に国の重要文化財の指定を受けた。昭和35年より文化庁、静岡県および韮山町の協力を得て解体修理が行われ文化14年(1817)に行われた大修理以前の古い形に復元された。またその際に茅葺きだった主屋の屋根は現状の銅板葺きとなった。
 江川氏は徳川時代初期より幕末まで代々徳川幕府の世襲代官を務めた。その中で幕末の江川英龍は体制側にありながら確信思想を持ち、農兵の組織、大砲の鋳造、品川台場築造の計画等をすすめたことで知られている。昭和42年に財団法人江川文庫が設立され、重要文化財および代官所記録の維持管理にあたっている。
(説明板より)

▼パン祖の碑
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【概要】

パン祖の碑
江川英龍は、天保十三(1842)年、この韮山屋敷において、兵が携行する兵粮として乾パンを製造しました。このことは、パン食の普及していなかった当時の日本においては画期的なことでした。
昭和二十七(1952)年、「全国パン協議会」および「静岡県パン協同組合」は、英龍に「パン祖」の称号を送るとともに、この「パン祖の碑」を建立して功績をたたえました。
(説明板より)

<韮山郷土史料館>

【入館料】(江川邸との共通券で)400円
【所在地】静岡県伊豆の国市韮山韮山2-4
【URL】http://www.city.izunokuni.shizuoka.jp/syakai/bunkazai/kyoudosiryoukan_2.jsp
▼韮山郷土史料館
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―― 城池 ――
城池では釣りをしている人たち、昼食を摂る人たちがいました。
▼城池
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<蛭ヶ島公園>

【所在地】静岡県伊豆の国市四日町17-1
(江戸時代の学者・秋山富南の推察により)平治の乱に加わった源頼朝が配流された
蛭ヶ島があったという場所に作られた公園。
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【説明板】

蛭ヶ島(源頼朝配流の地跡)
 このあたりを、韮山町四日町字蛭ヶ島といい、平治の乱で敗れた源義朝の嫡子、兵衛佐頼朝配流の地といわれている。
 狩野川の流路変遷の名残をとどめてか、近在には古河・和田島・土手和田等の地名が現存するところから、往時は大小の田島(中州)が点在し、その一つがこおの蛭ヶ島であったことが想像される。
 永暦元年(1160)十四才でこの地に流された頼朝は、治承四年(1180)三十四才で旗揚げ、やがては鎌倉幕府創設を成し遂げることとなるが、配流二十年間における住居跡等の細部は詳らかではない。しかし、「吾妻鏡」治承四年の記事によれば、山木攻め(頼朝旗揚げ)の頃は、妻政子の父、北条時政の館(当地より西方約1.5㎞の守山北麓)に居住し館内で挙兵準備を整えたとある。このことから考えると、頼朝は、北条政子と結ばれる治承元年(1177)頃までの約十七年間を、ここ蛭ヶ島で過したものといえよう。
 当公園中央部にある「蛭ヶ島碑記」の古碑は、源氏が天下支配の大業を果たした歴史の原点を後世に伝承すべく、寛政二年(1790)豆州志稿の著者、秋山富南の撰文により、江川家家臣飯田忠晶が建立したもので、韮山町の有形文化財に指定されている。また、この碑の西側にある高い碑は、秋山富南の頌徳碑で、豆州志稿の贈呈に当った荻原正夫が、明治二十六年に建立したものである。
韮山町教育委員会
韮山町産業観光課

<ゴール:韮山時代劇場>

ゴールではお土産に「入浴剤」をいただきました。
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――さらに歩いて――

■おまけ

ゴール後、韮山反射炉まで足を伸ばしてみました。

<韮山反射炉>

【指定】国指定史跡・近代化産業遺産
【所在地】静岡県伊豆の国市中字鳴滝入268
【入場料】100円
【URL】http://www.city.izunokuni.shizuoka.jp/syakai/bunkazai/hansyaro.jsp
【おすすめ】★★★★

【説明板】

韮山反射炉の概要
 反射炉とは、鉄を溶かすための溶解炉です。それに必要な千数百度の高温を実現するため、反射炉内の天井部分に熱を反射させ、一点に集中させるので反射炉と呼ばれるのです。
 韮山反射炉は、江戸時代末の韮山代官、江川太郎左衛門英龍(坦庵)が中心となって作られました。英龍は、日本に迫る諸外国の艦隊に備えるため、反射炉で鉄製の大砲を鋳造し、江戸湾内海台場(品川台場)をはじめとする砲台に設置することを目指していました。
 安政元年(1854)に起工された韮山反射炉は、途中、英龍の死去や安政の大地震による破損などの困難を乗り越え、安政4年の11月に4基全ての炉が竣工、鉄製砲の鋳造が開始されました。
 反射炉の周りには、砲身の内部をくり抜くための錐台(すいだい)や付属品の細工小屋などもあり、それらの施設も含めて、反射炉は大砲の製造工場でした。
 当時、佐賀藩や荻藩などでも反射炉が建造されましたが、実物が現存しているのは韮山の反射炉だけです。そのため、日本の製鉄技術の発展段階を示す貴重な遺産として、国指定史跡に指定されているほか、経済産業省から近代化産業遺産として認定されています。

■コースマップ

本日のコースは、以下の通り。

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